とりあえず開始!

スキー&スノーボード2004-2005

利用規定が改定されていた

利用規定が改定されているようである。

アフィリエイトがいいようなことになったようである。


今まで、アフィリエイトができなかったのがすごい。

まあ、アフィリエイト自体がそんな儲かるものでなくなってしまった今となって、
無理にアフィリエイトにこだわる必要もないような気がするが、

でも初めての人は、アフィリエイトをやりたいと考えているだろう。

そんな人には、よかったのではないでしょうか。





3. 禁止行為

登録ユーザーは、エキサイトブログページにおいて、以下に掲げる行為をしてはなりません。

他人の身体、生命、自由、名誉、財産等に対して害悪を加える旨の情報等を掲載する行為
不倫・援助交際・売春・買春等の勧誘行為
他の登録ユーザーに不快感を与える行為
一般に公開されている情報を除き、所有者の了解無く、電話番号、メールアドレス等の個人的な連絡先を掲載する行為
他人の名前その他の情報を不正利用した情報等を掲載する行為
未成年者の人格形成等に悪影響を与えるような情報等を掲載する行為
登録ユーザーが使用するコンピュータ、通信機器等のハードウェア若しくはそれらにインストールされているソフトウェアに何らかの悪影響を生じさせ、又は登録ユーザーに心理的な不快感を与えるようなコンピュータープログラムやファイルをアップロードしたり、それらのプログラムやファイルが記録されているサーバーにアクセスするURLを掲載し、又はかかるサーバーに対するリンクを貼る行為
他人の産業財産権(特許権、商標権等)、著作権、企業秘密等の知的財産権を侵害する行為
他人の信用若しくは名誉を侵害し、又は他人のプライバシー権、肖像権その他一切の権利を侵害する行為
自殺・自傷行為を肯定・勧誘あるいは助長する行為(自殺の方法などを掲載する行為を含みます)
虐待を肯定・勧誘・助長する行為
虚偽又は誤解を招くような情報等を掲載する行為
特定の思想(政治思想や宗教を含みます)を喧伝しまたは勧誘する行為
犯罪行為をすること又はこれを助長するような情報等を掲載する行為
低俗で品位を欠く(例えば猥褻な)内容の情報等を掲載する行為
エキサイトブログの運営又は他の登録ユーザーによるエキサイトブログの利用を妨害し、若しくはそれらに支障をきたす行為
公序良俗又は法令に反する行為
その他エキサイト株式会社が合理的な理由に基づき不適切と判断する行為
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# by d11244m | 2006-12-28 01:29

利用規定が改定されていた

利用規定が改定されているようである。

アフィリエイトがいいようなことになったようである。


今まで、アフィリエイトができなかったのがすごい。

まあ、アフィリエイト自体がそんな儲かるものでなくなってしまった今となって、
無理にアフィリエイトにこだわる必要もないような気がするが、

でも初めての人は、アフィリエイトをやりたいと考えているだろう。

そんな人には、よかったのではないでしょうか。





3. 禁止行為

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他人の身体、生命、自由、名誉、財産等に対して害悪を加える旨の情報等を掲載する行為
不倫・援助交際・売春・買春等の勧誘行為
他の登録ユーザーに不快感を与える行為
一般に公開されている情報を除き、所有者の了解無く、電話番号、メールアドレス等の個人的な連絡先を掲載する行為
他人の名前その他の情報を不正利用した情報等を掲載する行為
未成年者の人格形成等に悪影響を与えるような情報等を掲載する行為
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他人の産業財産権(特許権、商標権等)、著作権、企業秘密等の知的財産権を侵害する行為
他人の信用若しくは名誉を侵害し、又は他人のプライバシー権、肖像権その他一切の権利を侵害する行為
自殺・自傷行為を肯定・勧誘あるいは助長する行為(自殺の方法などを掲載する行為を含みます)
虐待を肯定・勧誘・助長する行為
虚偽又は誤解を招くような情報等を掲載する行為
特定の思想(政治思想や宗教を含みます)を喧伝しまたは勧誘する行為
犯罪行為をすること又はこれを助長するような情報等を掲載する行為
低俗で品位を欠く(例えば猥褻な)内容の情報等を掲載する行為
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# by d11244m | 2006-12-28 01:29

好きな髪形

ずばり!


ぼーずだ!!
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# by d11244m | 2006-11-08 23:19

細木香以

細木香以は津藤(つとう)である。摂津国屋(つのくにや)藤次郎である。わたくしが始めて津藤の名を聞いたのは、香以の事には関していなかった。香以の父竜池(りゅうち)の事に関していた。摂津国屋藤次郎の称(となえ)は二代続いているのである。
 わたくしは少年の時、貸本屋の本を耽読(たんどく)した。貸本屋が笈(おい)の如くに積み畳(かさ)ねた本を背負って歩く時代の事である。その本は読本(よみほん)、書本(かきほん)、人情本の三種を主としていた。読本は京伝(きょうでん)、馬琴(ばきん)の諸作、人情本は春水(しゅんすい)、金水(きんすい)の諸作の類で、書本は今謂(い)う講釈種(だね)である。そう云う本を読み尽して、さて貸本屋に「何かまだ読まない本は無いか」と問うと、貸本屋は随筆類を推薦する。これを読んで伊勢貞丈(ていじょう)の故実の書等に及べば、大抵貸本文学卒業と云うことになる。わたくしはこの卒業者になった。
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# by d11244m | 2006-08-11 23:51

王JAPANが世界1

やったJAPANが世界1ですよ。

こんなことがあっていいのでしょうか?

いいいのです。


いやー


あせだらだらでしたよ。

5回ぐらいまでは、かなりリラックスしてお茶

6回からう~ん

8回にいたっては、無言でテレビに見る。

8回終了時 ヒア汗を感じる。

9回 歓喜

ゲーム終了 感動

こんな感じでした。みなさんは、どうだんたのかな?
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# by d11244m | 2006-03-21 15:32

王ジャパン、いざ出陣

世界一をかけキューバと激突!
今日ですよ。今日

世紀の大一番ですね。
野球世界一をかけ王ジャパンは野球王国キューバと対戦します。


キューバと言えば、国技になっているぐらい野球が盛んな国です。
テレビでも特集されていましたが、少年時代からナショナルチームに入ることを夢見て
みんながんばっています。

今回は、アメリカの経済制裁などで直前までWBCの参加が危ぶまれ、急遽参加で前評判こそ高くなかったのですが、本大会に入ると国技のプライドと底力を発揮しました。
アマチュアはプロに勝てないだろうという下馬評を覆す決勝進出でした。

対する日本は、みなさんもご存知のようにアメリカのよもやの敗戦でタナボタの準決勝進出でしたね。
準決勝の相手は2連敗中だった宿敵韓国でした。不振で先発を外れた中日・福留の2ラン等で韓国を力でねじ伏せ決勝進出です。

相手にとって不足なし。野球大国キューバを破り栄えある初代チャンプの座を是非とも勝ち取ってもらいたい。たのんだぞ、松坂!
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# by d11244m | 2006-03-21 10:25

警察

ガロフォリがわざわざ口に出して用向きを言いつけてくれるのは、たいへんな好意(こうい)であった。
 ガロフォリはマチアの持って来たあかじみた小さな帳面には目もくれなかった。初(はじ)めのいおうくさいマッチをつけた子どもに、来いと合図をした。
「おまえにはきのう一スー貸(か)してある。それをきょう持って来るやくそくだったが、いくら持って来たな」
 子どもは赤くなって、当惑(とうわく)を顔に表して、しばらくもじもじしていた。
「一スー足りません」とかれはやっと言った。
「はあ、おまえは一スー足りないのかね。それでいいのだね」
「きのうの一スーではありません。きょう一スー足りないのです」
「それで二スーになる。おれはきさまのようなやつを見たことがない」
「わたしが悪いんではないんです」
「言(い)い訳(わけ)をしなさんな。規則(きそく)は知っているだろう。着物をぬぎなさい。きのうの分が二つ、きょうの分が二つ。合わせて四つ。それから横着(おうちゃく)の罰(ばつ)に夕食のいもはやらない。リカルド、いい子や。おまえはいい子だから、気晴らしをさせてやろう。むちをお取り」
 二本目のマッチをつけた子どものリカルドが、かべから大きな結(むす)び目(め)のある皮ひもの二本ついた、柄(え)の短いむちを下ろした。そのあいだに二スー足りない子どもは上着のボタンをはずしていた。やがてシャツまでぬいでからだをこしまで現(あらわ)した。
「ちょっと待て」とガロフォリがいまいましい微笑(びしょう)を見せて言った。
「たぶんきさまだけではあるまい。仲間(なかま)のあるということはいつでもゆかいなものだし、リカルドにたびたび手数をかけずにすむ」
 子どもたちは親方の前に身動きもせずに立っていたが、かれの残酷(ざんこく)なじょうだんを開いて、みんな無理(むり)に笑(わら)わされた。
「いちばん笑ったやつはいちばん足りないやつだ」とガロフォリが言った。「きっとそれにちがいない。いちばん大きな声で笑ったのはだれだ」
 みんなは例(れい)の大きな材木(ざいもく)を持って、まっ先に帰って来た子どもを指さした。
「こら、きさまはいくら足りない」とガロフォリがせめた。
「わたしのせいではありません」
「わたしのせいではありませんなんかと言うやつは、一つおまけにぶってやろう。いくら足りないのだ」
「わたしは大きな材木を一本持って来ました。りっぱな材木です」
「それもなにかになる。だがパン屋へ行ってその棒(ぼう)でパンにかえてもらって来い。いくらにかえてくれるか。いくら足りないのだ。言ってみろ」
「わたしは三十六スー持って来ました」
「この悪者め、四スー足りないぞ。それでいて、そんなしゃあしゃあした面(つら)をして、おれの前につっ立っている。シャツをぬげ。リカルドや、だんだんおもしろくなるよ」
「でも材木(ざいもく)は」と子どもがさけんだ。
「晩飯(ばんめし)の代わりにきさまにやるわ」
 この残酷(ざんこく)なじょうだんが罰(ばっ)せられないはずの子どもたちみんなを笑(わら)わせた。それからほかの子どもたちも一人一人勘定(かんじょう)をすました。リカルドがむちを手に持って立っていると、とうとう五人までの犠牲者(ぎせいしゃ)が一列にかれの前にならべられることになった。
「なあ、リカルド」とガロフォリが言った。「おれはこんなところを見るといつも気分が悪くなるから、見ているのはいやだ。だが音だけは聞ける。その音でおまえのうでの力を聞き分けることができる。いっしょうけんめいにやれよ。みんなきさまたちのパンのために働(はたら)くのだ」
 かれは炉(ろ)のほうへからだを向けた。それはあたかもかれがこういう懲罰(ちょうばつ)を見ているにしのびないというようであった。
 わたしは一人すみっこに立って、いきどおりとおそれにふるえていた。これがわたしの親方になろうとする男なのである。わたしもこの男に言いつけられた物を持って帰らなければ、やはりリカルドに背中(せなか)を出さねばならなかった。ああ、わたしはマチアがあれほど平気で死ぬことを口にしているわけがわかった。
 ぴしり、第一のむちがふるわれて、膚(はだ)に当たったとき、もうなみだがわたしの目にあふれ出した。わたしのいることは忘(わす)れられていたと思っていたけれど、それは考えちがいで、ガロフォリは目のおくからわたしを見ていた。
「人情(にんじょう)のある子どもがいる」とかれはわたしを指さした。「あの子はきさまらのような悪党(あくとう)ではない。きさまらは仲間(なかま)が苦しんでいるところを見て笑(わら)っている。この小さな仲間を手本にしろ」
 わたしは頭のてっぺんから足のつま先までふるえた。ああ、かれらの仲間か……。
 第二のむちをくって犠牲(ぎせい)はひいひい泣(な)き声(ごえ)を立てた。三度目には引きさかれるようなさけび声を上げた。ガロフォリが手を上げた。リカルドはふり上げたむちをひかえた。わたしはガロフォリがさすがに情(なさ)けを見せるのだと思ったが、そうではなかった。
「きさまらの泣き声を聞くのはおれにはどのくらいつらいと思う」とかれはねこなで声で犠牲(ぎせい)に向かって言いかけた。「むちがきさまらの皮をさくたんびにさけび声がおれのはらわたをつき破(やぶ)るのだ。ちっとはおれの苦しい心も察(さっ)して、気のどくに思うがいい。だからこれから泣(な)き声(ごえ)を立てるたんびによけいに一つむちをくれることにするからそう思え。これもきさまらが悪いのだ。きさまらがおれに対してちっとでも情(なさ)けや恩(おん)を知っているなら、だまっていろ。さあ、やれ、リカルド」
 リカルドがむちをふり上げた。皮ひもは犠牲(ぎせい)の背中(せなか)でくるくる回った。
「おっかあ。おっかあ」とその子どもがさけんだ。
 ありがたい。わたしはこのうえこのおそろしい呵責(かしゃく)を見ずにすんだ。なぜといってこのしゅんかんドアがあいて、ヴィタリス親方がはいって来たからである。
 人目でかれはなにもかも了解(りょうかい)した。かれははしご段(だん)を上がりながらさけび声を聞いたので、すぐリカルドのそばにかけ寄(よ)って、むちを手からうばった。それからガロフォリのほうへくるりと向いて、うで組みをしたままかれの前につっ立った。
 これはいかにもとっさのあいだに起こったので、しばらくはガロフォリもぽかんとしていた。けれどもすぐ気を取り直しておだやかに言った。
「どうもおそろしいようじゃないか。なにね、あの子どもは気がちがっているのだ」
「はずかしくはないか」ヴィタリスがさけんだ。
「それ見ろ、わたしもそういうことだ」とガロフォリがつぶやいた。
「よせ」とヴィタリス親方が命令(めいれい)した。「とぼけるなよ。おまえのことだ。子どもではない。こんな手向かいのできないかわいそうない子どもらをいじめるというのは、なんというひきょうなやり方だ」
「この老(お)いぼれめ。よけいな世話を焼(や)くな」とガロフォリが急に調子を変(か)えてさけんだ。
「警察(けいさつ)ものだぞ」とヴィタリスが反抗(はんこう)した。
「なに、きさま、警察でおどすのか」とガロフォリがさけんだ。
「そうだ」と、わたしの親方は乱暴(らんぼう)な相手(あいて)の気勢(きせい)にはちっともひるまないで答えた。
「ははあ」とかれはあざ笑(わら)った。「そんなふうにおまえさんは言うのだな。よしよし、おれにも言うことがあるぞ。おまえのしたことはなにも警察(けいさつ)に関係(かんけい)はないが、おまえさんに用のあるという人が世間にはあるのだ。おれがそれを言えば、おれが一度名前を言えば……はてはずかしがって頭をすぼめるのはだれだろうなあ。世間が知りたがっているその名前を言い回っただけでも、はじになる人がどこかにいるぞ」
 親方はだまっていた。はじだ。親方のはじだ。なんだろう。わたしはびっくりした。けれど考えるひまのないうちに、かれはわたしの手を引(ひ)っ張(ぱ)った。
「さあ、行こう、ルミ」とかれは言った、そうして戸口までぐんぐんわたしを引っ張った。
「まあ、いいやな」ガロフォリが今度は笑(わら)いながらさけんだ。「きみ、話があって来たんだろう」
「おまえなんぞに言うことはなにもない」
 それなり、もうひと言も言わずに、わたしたちははしご段(だん)を下りた。かれはまだしっかりわたしの手をおさえていた。なんというほっとした心持ちで、わたしはかれについて行ったろう。わたしは地獄(じごく)の口からのがれた。わたしが思いどおりにやれば、親方の首に両手をかけて、強く強くだきしめたところであったろう。
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# by d11244m | 2006-03-10 17:06

ガロフォリが部屋

 かれはことばを切った。
「それで」とわたしはたずねた。
「おお、見物のおくさんたちは決まってこう言うのだ。きれいな子のほうへおやりよ。みっともない子どものほうでなく、と。そのみっともない子どもというのはむろんぼくだった。そこでぼくはもうその子とは行かないことにした。ぶたれるのは痛(いた)いけれど、そんなことをしかもおおぜいの人の前で言われるのはもっとつらい。きみはだれからも、おまえはみにくいと言われたことがないから知るまい。だがぼくは……さてとうとうガロフォリは、ぶってもたたいてもぼくには効(き)き目(め)がないのをみて、ほかのしかたを考えた。それは毎晩(まいばん)ぼくの晩飯(ばんめし)のいもを減(へ)らすのだ。きさまの皮はいくらひっぱたいても平気で固(かた)いが、胃(い)ぶくろはひもじいだろうと言った。それはつらいが、でもぼくのねずみの見世物を見ている往来(おうらい)の人に向かって、どうか一スーください、くださらないと、今夜はおいもが食べられませんとは言われない。人はそんなことを言ったって、なにもくれるものではないよ」
「じゃあ、どうするとくれるの」
「それはきみ、だれだって自分の心を満足(まんぞく)させるためにくれるのだ。なんでもなく人に物をくれるものではないよ。その子どもがかわいらしくって、きれいであるか、あるいはその人たちの亡(な)くした子どものことを思い出させるとかいうならくれる。子どもはおなかがすいているからかわいそうだと思って、くれる者はない。ああ、こんなことで長いあいだにぼくは世の中の人の心持ちがわかってきた。ねえ、きょうは寒いじゃないか」
「ああ、ひどい寒さだね」
「ぼくはこじきをしてから、だんだん太れないで青くなった」と少年は続(つづ)いて言った。「ぼくはずいぶん青い顔をしている。それでぼくはたびたび人が、あのびんぼう人の子どもはいまに飢(う)えて死ぬだろうと言っているのを聞いた。だが苦しそうな顔つきは、楽しそうな顔つきではできないことをしてくれる。その代わりひじょうにひもじい目をこらえなければならない。とにかくおかげでだんだんぼくを気のどくがる人が近所にできた。みんな、ぼくのもらいの少ないときにはパンやスープをめぐんでくれる。これはぼくのいちばんうれしいときで、ガロフォリにぶたれもしないし、晩飯(ばんめし)にいもがもらえなくっても、どこかでなにか昼飯(ひるめし)にもらって食べて来るから苦しいこともなかった。けれどある日ガロフォリが、ぼくが水菓子屋(みずがしや)にもらった一さらのスープを飲んでいるところを見つけると、なぜぼくがうちで晩飯(ばんめし)をもらわずに平気で出て行くか、そのわけを初(はじ)めて知った。それからはぼくにうちで留守番(るすばん)させて、このスープの見張(みは)りを言いつけた。毎朝出て行くまえに肉と野菜(やさい)をなべに入れて、ふたに錠(じょう)をかってしまう。そしてぼくのすることはそのにえたつのを見るだけだ。ぼくはスープのにおいをかいでいる。だがそれだけだ。スープのにおいでは腹(はら)は張(は)らない。どうしてよけい空腹(くうふく)になる。ぼくはずいぶん青いかい。ぼくはもう外へ出ないから、みんながそう言うのを聞かないし、ここには鏡(かがみ)もないのだからわからない」
「きみはほかの人よりかよけい青いとは思えないよ」とわたしは言った。
「ああ、きみはぼくを心配させまいと思ってそう言うのだ。けれどぼくはもっともっと青くなって、早く病気になるほうがうれしいのだ。ぼくはひじょうに悪くなりたいのだ」
 わたしはあきれて、かれの顔をながめた。
「きみはわからないのだ」とかれはあわれむような微笑(びしょう)をふくんで言った。「ひどく加減(かげん)が悪くなればみんなが世話をしてくれる。さもなければ死なせてくれる。ぼくを死なせてくれればなにもかもおしまいだ。もう腹(はら)を減(へ)らすこともないし、ぶたれることもないだろう。それにぼくたちは死ねば天にのぼって神様といっしょに住むことになるのだ。そうだ、そうなればぼくは天にのぼって、上から母さんや、クリスチーナを見下ろすことができる。神様にたのんで妹を不幸(ふしあわ)せにしないようにしてもらうこともできる。だからぼくは病院へやられればうれしいと思うよ」
 病院――というとわたしはむやみにおそろしい所だと思いこんでいた。わたしはいなか道を旅をして来たあいだ、どんなに気分が悪く思うときでも、病院へやられるかもしれないと思い出すといつでも力が出て、無理(むり)にも歩いたものだった。マチアのこういうことばにわたしはおどろかずにはいられなかった。
「ぼくはいまではずいぶんからだの具合が悪くなっている。だがまだガロフォリのじゃまになるほど悪くはなっていない」と、かれは弱い、ひきずるような声で話を続(つづ)けた。「でもぼくはだんだん弱くなってきたよ。ありがたいことにガロフォリはまるっきりぶつことをやめずにいる。八日まえにもぼくの頭をうんとひどくぶった。おかげでこのとおりはれ上がった。見たまえ、この大きなこぶを。あいつはきのうぼくに、これはできものだと言った。そう言ったあの人の様子はなんだかまじめだった。おそろしく痛(いた)むのだ。夜になるとひどく目がくらんでまくらに頭をつけるとぼくはうなったり泣(な)いたりする。それがほかの子どものじゃまになるのをガロフォリはひどくきらっている。だから二日か三日のうちにいよいよあの人もぼくを病院へやることに決めるだろうと思う。ぼくは先(せん)に慈恵病院(じけいびょういん)にいたことがある。お医者さんはかくしに安いお菓子(かし)をいつも入れているし、看護婦(かんごふ)の尼(あま)さんたちがそれは優(やさ)しく話をしてくれるよ。こう言うんだ。ぼうや、舌(した)をお出しとか、いい子だからねとかなんでもなにかしたいたんびに、『ああ、おしよ』と言ってくれる。それがうちにいる母さんと同じ調子なんだ。ぼくはどうも今度は病院へ行くほど悪くなっていると思う」
 かれはそばへ寄(よ)って来て、大きな目でじっとわたしを見た。わたしはかれの前に真実(しんじつ)をかくす理由はなかったが、しかしかれの大きなぎょろぎょろした目や、くぼんだほおや、血の気(け)のないくちびるがどんなにおそろしく見えるかということを、かれに語ることを好(この)まなかった。
「きみは病院へ行かなければならない。ずいぶん悪いと思うよ」
「いよいよかね」
 かれは足を引きずりながらのろのろ食卓(しょくたく)のほうへ行って、それをふき始めた。
「ガロフォリがまもなく帰って来る」とかれは言った。「ぼくたちはもう話をしてはいけない。もうこれだけぶたれているのだ。このうえよけいなぐられるのは損(そん)だからね。なにしろこのごろいただくげんこは先(せん)よりもずっと効(き)くからね。人間はなんでも慣(な)れっこになるなんて言うが、それはお人よしの言うことだよ」
 びっこひきひきかれは食卓(しょくたく)の回りを回って、さらやさじならべた。勘定(かんじょう)すると二十枚(まい)さらがあった。そうするとガロフォリは二十人の子どもを使っているのだ。でも寝台(ねだい)は十二しか見えなかったから、かれらのある者は一つの寝台に二人ねむるのだ。それにとにかくなんという寝台であろう。なんというかけ物であろう。かけ物の毛布(もうふ)はうまやから、もう古くなって馬が着ても暖(あたた)かくなくなったようなしろものを、持って来たにちがいない。
「どこでもこんなものかしら」と、わたしはあきれてたずねた。
「なにがさ」
「子どもを置(お)く所は、どこでもこんなかしら」
「そりゃ知らないがね、きみはここへは来ないほうがいいよ」と、少年は言った。「どこかほかへ行くようにしたまえ」
「どこへ」
「ぼくは知らない。どこでもかまわない。ここよりはいいからねえ」
 どこへといって、どこへわたしは行こう。――ぼんやり当てもなしに考えこんでいると、ドアがあいて、一人の子どもが部屋(へや)の中にはいって来た。かれは小わきにヴァイオリンをかかえて、手に大きな古材木(ふるざいもく)を持っていた。わたしはガロフォリの炉(ろ)にたかれている古材木の出所と値段(ねだん)もわかったように思った。
「その木をくれよ」とマチアは子どものほうへ寄(よ)って行った。けれど子どもは材木を後ろにかくした。
「ううん」とかれは言った。
「まきにするんだからおくれよ。するとスープがおいしくにえるから」
「きみはぼくがこれをスープをにるために持って来たと思うか。ぼくはきょうたった三十六スーしかもらえなかった。だからこの材木(ざいもく)をぶたれないおまじないにするのだ。これで四スーの不足(ふそく)の代わりになるだろう」
「やっぱりやられるよ。なんの足しになるものか。順(じゅん)ぐりにやられるんだ」
 マチアはそう機械的(きかいてき)に言って、あたかもこの子どもも罰(ばっ)せられると思うのがかれに満足(まんぞく)をあたえるもののようであった。わたしはかれの優(やさ)しい悲しそうな目のうちに、険(けわ)しい目つきの表れたのを見ておどろいた。だれでも悪い人間といっしょにいると、いつかそれに似(に)てくるということは、わたしがのちに知ったことであった。
 一人一人子どもたちは帰って来た。てんでんにはいって来ると、ヴァイオリン、ハープ、ふえなど自分の楽器を寝台(ねだい)の上のくぎにかけた。音楽師(おんがくし)でなく、ただ慣(な)らしたけものの見世物をやる者は、小ねずみやぶたねずみをかごの中に入れた。
 それから重い足音がはしご段(だん)にひびいて、ねずみ色の外とうを着た小男がはいって来た。これがガロフォリであった。
 はいって来るしゅんかん、かれはわたしに目をすえて、それはいやな目つきでにらめた。わたしはぞっとした。
「この子どもはなんだ」と、かれは言った。
 マチアはさっそくていねいにヴィタリス親方の口上(こうじょう)をかれに伝(つた)えた。
「ああ、じゃあヴィタリスが来たのか」とかれが言った。「なんの用だろう」
「わたしはぞんじません」とマチアが答えた。
「おれはきさまに言っているのではない。この子どもに話しているのだ」
「親方がいずれもどって来て、用事を自分で申し上げるでしょう」と、わたしは答えた。
「ははあ、このこぞうはことばの値打(ねう)ちを知っている。要(い)らぬことは言わぬ。おまえはイタリア人ではないな」
「ええ、わたしはフランス人です」
 ガロフォリが部屋(へや)にはいって来たしゅんかん、二人の子どもがてんでんにかれの両わきに席(せき)をしめた。そしてかれのことばの終わるのを待っていた。やがて一人がそのフェルト帽(ぼう)をとって、ていねいに寝台(ねだい)の上に置(お)くと、もう一人はいすを持ち出して来た。かれらはこれを同じようなもったいらしさと、行儀(ぎょうぎ)よさをもって、寺小姓(てらこしょう)が和尚(おしょう)さんにかしずくようにしていた。ガロフォリがこしをかけると、もう一人の子どもがたばこをつめたパイプを持って来た。すると第四の子どもがマッチに火をつけてさし出した。
「いおうくさいやい。がきめ」とかれはさけんで、マッチを炉(ろ)の中に投げこんだ。
 この罪人(ざいにん)はあわてて過失(かしつ)をつぐなうために、もう一本のマッチをともして、しばらく燃(も)やしてから主人にそれをささげた。けれどもガロフォリはそれを受け取ろうとはしなかった。
「だめだ。とんちきめ」とかれは言って、あらっぽく子どもをつきのけた。それからかれはもう一人の子どものほうを向いて、おせじ笑(わら)いをしながら言った。
「リカルド、おまえはいい子だ。マッチをすっておくれ」
 この「いい子」はあわてて言いつけどおりにした。
「さて」とガロフォリは具合よくいすに納(おさ)まって、パイプをふかしながら言った。
「おこぞうさんたち、これから仕事だ。マチア、帳面だ」
 こう言われるまでもなく、子どもたちはガロフォリのまゆの動き方一つにも心を配っていた。そのうえに
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# by d11244m | 2006-03-10 17:06

東京銀座生まれ。

東京銀座生まれ。家は印刷業を営んでいたが、父が急逝し、また母の再婚がうまく行かず、家業は没落してしまう。そのため親戚を転々とし、多難な少年時代を送った。だが芝居好きの祖母や、学問熱心な伯父、また早稲田大学時代に師事した坪内逍遙や島村抱月など、周囲の人に恵まれ、彼の基礎がはぐくまれていった。大学卒業後の1907(明治40)年早稲田文学社に入り、編集者としてのキャリアを始める。そして読売新聞社を経て、1910(明治43)年冨山房に入社、そこで「新日本」の編集主任として励むかたわら、一方で逍遙の「文芸協会」に参加し、評論あるいは翻訳劇脚本家として活躍する。文芸協会解散後も抱月の芸術座に続いて参加し、しばらく編集者と演劇人の二足のわらじを履いていたが、1915(大正4)年冨山房社長の命を受け、「模範家庭文庫」の担当となる。親交のあった岡本帰一にヴィジュアル面を託し、他人の原稿を編集するうち、児童文芸への意識が高まっていく。やがて自らも文庫の執筆に手を出し、また児童向けの創作や翻訳も意欲的に行った。ちょうどその頃、抱月の死によって芸術座は崩壊し、その騒動に巻き込まれ、事態の収拾に奔走するうち、しぜん演劇界から足が遠のいていったこともそれに拍車をかけることになったのだろう。語ること・魅せること・まとめることを意識した正雄の仕事は一種の創造的編集ともいえ、この時期に成した「世界童話宝玉集」(1919:大正8)、「日本童話宝玉集」(1921:大正10)の完成度は群を抜いている。これらは当時、これまでの「お伽噺」という定義によらず、「童話」を日本で初めて集成したものと広告された。また「世界―」に所収されたメーテルリンクの戯曲「青い鳥」の出来もよく、出版翌年にはこの台本で上演されている。しかし芸術座騒動と増える一方の仕事に、精神的にも疲弊したためか、1922(大正11)年すべてから身を引き、趣味の藤原文芸研究に打ち込むため、京都に移住する。だが翌年に起こった関東大震災がふたたび彼を呼び戻すことになる。新たな一大事典の制作を考えた冨山房社長の要請を受け、正雄は東京へ戻り、1924(大正13)年「日本家庭大百科字彙」責任者につく。そして児童文芸の世界にも再度力をそそいだ。「世界―」以来興味を持っていたアンデルセン童話を独英米の底本から訳し、初めて童話集として出版したのも同年である。またこの頃の創造的編集の粋として、1925(大正14)年から翌年にかけて出版された現代絵本のさきがけとなる「画とお話の本」シリーズも見逃せない。「字彙」は1931(昭和6)年に完結したが、休む暇なく「国民百科大辞典」の出版が企画され、当時としては最大級であったこの大事業を正雄は見事完遂する。1937(昭和12)年には長く離れていた演劇の世界に戻って批評活動に励み、また冨山房でも冨山房百科文庫の企画が始まる。1938(昭和13)年には本人監修の独語底本から再度アンデルセン童話の翻訳に挑戦し、まったくの新訳を出版する。だが日本は次第に戦渦に巻き込まれていき、正雄が携わっていた様々の事業も中絶する。この時期に翻訳した反戦児童文学「デブと針金」は彼の心境を反映しているものである。1945(昭和20)年の終戦後は、様々な文化が復興の力に湧き、正雄も演劇界・児童文芸界双方に尽力する。そしてこれまでの人生のまとめとして、世界の児童文学を比較文化的な視点から体系的にまとめようとする「世界おとぎ文庫」の編集執筆を始め、またライフワークであったアンデルセン童話もデンマーク原語から三度文章を改め翻訳を試みた。だが正雄の身体は病魔にむしばまれ、1950(昭和25)年転居先の長男宅でガンのため永眠、両計画の筆は中途にして折られることとなった。演劇・辞典編集・児童文芸のみっつの分野においてその創造的編集の才を尽くし、多くの基礎を作った先駆者であった。そのほかの著訳編に「近代劇選集」「近代劇十二講」「ファウスト」「楠山正雄歌舞伎評論」(以上、演劇)「家なき子」「ふしぎの国のアリス」「イソップ物語」(以上、翻訳)「苺の国」「二人の少年と琴」(以上、創作)などがあり、「日本童話宝玉集」にある日本昔話は以後何度も再刊・再録された。(大久保ゆう)
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# by d11244m | 2006-03-10 17:05



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